「守ってください、一つとなるために」
(ヨハネによる福音書17章1~11節)
すべての人間は、必ず何らかの共同体に属します。家族、国家、民族、会社、学校、団体、クラブ、政党・・・。私たちは、何らかの共同体の一員として生涯を歩んでいきます。その属している共同体は一つとは限りません。一人が同時に複数の共同体に属していることも当然としてあります。私たちは何らかの共同体のメンバーになり続けながら、生きているのです。
社会的に、共同体は二種類あるといわれます。一つは、人が生まれながらにして属するような共同体です。それは、地縁、血縁的な共同体です。家族や一族、地域社会、部族、民族、国家などです。この共同体では、理屈なしのしきたりや、習慣、伝統等によってものごとが判断され、ことが進められていくことが多くあります。もう一つの共同体の種類として、共通目的達成型の共同体があります。メンバーにとって共通した何か目的や目標があり、その達成にむかってつながっている共同体です。同じ志をもったメンバーの集まりです。会社、企業、学校、政党、クラブ、プロジェクト・チームなどです。この共同体は、自らの目的が達成されたり、目的がそぐわなくなったりしたら、いかようにも変化ができる共同体です。私たちは社会に生きる者として、この「地縁、血縁的共同体」と「共通目的達成型共同体」の二つの共同体に属しながら、生きています。
しかし、神に生かされ、神と共に歩んでいこうとするキリスト者は、もう一つの大切な共同体にこそ属していることを見失ってはなりません。それは、「愛の共同体」です。神に招かれ、それぞれが神の家族の一員として、お互いに支え合い、赦し合い、仕え合い、愛し合っている共同体。この共同体にこそキリスト者は帰属しているのです。この共同体で与えられる癒しと喜び、力は、この共同体につながるメンバー一人一人の生きる大切な土台となり、一人一人のメンバーがそれぞれの生きる社会的な現場で、それぞれの共同体に属しながらも、「愛の共同体」の光を輝かせるのです。この光は世を照らす光です。
イエスは、私たちがこの「愛の共同体」のもとで、一つとなるため、守ってください、と父なる神に祈られました。愛の共同体が保たれ、そこに私たちがつながり、私たちが一つとなってそこに生き続けていくには、私たちの思いと力だけではできません。そのことができるための、神よりの恵みと力を求めなければならないのです。イエスは、わたしたちが一つとなるため、守ってください、と祈り続けておられるのです。