ヨハネによる福音書 14:23-29
復活節もいよいよ終盤を迎え、教会は復活の喜びに包まれつつ、主イエスが「去って行く」現実と「また戻って来る」という希望の言葉に目を向けています。この二つの言葉は、復活の主を信じる者の信仰の姿勢を形づくるものです。
ヨハネによる福音書14章で、主は「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る」と語ります。まず、「わたしの言葉を守る」とは単なる命令の遵守ではなく、愛をもってその言葉を心に大切に留め、生きることを意味します。このように主の言葉を大切にする人に対し、父と子は「その人のところに来て、一緒に住む」と約束されます。これは、神の臨在が教会という場に限られず、一人ひとりの日常に実現するという驚くべき真理です。
次に、「去って行くが、また戻って来る」という言葉は、イエスの受難、復活、昇天、そして聖霊による臨在と終末的な再臨を含んだ深い意味を持ちます。この「不在」と「再臨」の間の時代を、私たちは信仰と希望をもって生きるよう招かれています。見えない主を信頼し、言葉を心に刻んで歩むことが、復活の信仰に生きる者の姿勢です。
主も昇天によって目には見えなくなっても、聖霊を通して私たちと共におられます。この「共にいる」という確信が、信仰の核心です。
また、主は「平和を残して行く」と言われました。この平和は外的状況の安定ではなく、神との和解、臨在から来る深い安心であり、主が今も共におられるしるしです。病や不安、困難の中にある私たちにとって、この神の平和は真の希望の源です。
主イエスが去って行くのは、私たちを見捨てるためではなく、より深く普遍的なかたちで共におられるためであり、聖霊によって今も私たちは生ける主の臨在にあずかっています。そして、やがて主と再び会う日が来る。その日を希望をもって待ちながら、日々主の言葉を守り、愛のうちに歩みましょう。
この歩みを共にするのが教会という共同体の恵みです。礼拝、聖餐、御言葉、祈りを通して、主の臨在はますます確かなものとなり、平和と希望が私たちの間に現れていきます。主が去られたように見えても、私たちを決してひとりにはされないという約束を、今日新たに心に刻みましょう。
(執事 パウロ福永 澄)