「聖書の御言葉と聖餐に生かされて」
(ルカ24:13~35)
イエスが生きておられる、という噂や話を知りながらも、イエスの復活の出来事は自分たちには直接関係ない、と思っていた、二人の弟子がいました。彼らは、イエスが復活したという証言が語られているエルサレムから離れていこうと、道を歩いていました。
その二人にイエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められます。二人はその近づいて来た同行者がイエスだとは 分かりません。聖書には「二人の目は遮られていた」(16節)と記されています。そしてイエスは、その二人に、イエス自ら、聖書全体を解き明かし、救い主であるイエスご自身について説明します。
そして弟子の二人とイエスの一行は、泊まるための家に入ります。そして、一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて二人にお渡しになりました。すると、二人の「目が開け」、その同行者が復活したイエスだと分かりました。しかしそのイエスの姿は見えなくなりました。
その二人の弟子は、遮られていた目が開かれ、復活したイエスの出来事が、まさに自分たち自身の出来事となりました。それは、イエスによって聖書全体を解き明かされ、イエスによって裂かれたパンを渡されて、復活のイエスと共に生きることとなったのです。
私たちはイエスと共に「聖書の御言葉」を学びます。私たちはイエスと共に「聖餐」に与ります。復活のイエスが、まさに私たちと共におられるのです。
今年の復活日は、世界的な規模で猛威を振るっている新型コロナウィルスの感染予防対策のため、教会での礼拝は休止となりました。そして今現在も、教会での礼拝がなされず、私たちは聖餐に与かれない状況が続いています。しかし、教会で「聖餐」に与かれる日を願い祈りつつ、私たちには、もう一つの恵みである「聖書の御言葉」が与えられています。この状況にありつつも、私たちは各自で聖書を読み、神の御言葉、主イエスの御言葉に力を受けて歩んでまいりましょう。共に主にあって。