死を変えるもの
(ヨハネによる福音書11章17~44節)
ヨハネによる福音書には、イエス自身が行った奇跡が7回記されています。そして本日の福音書で読まれる、ラザロを生き返らせた奇跡は、イエス自身が行った最後の奇跡です。マルタとマリアの兄弟であるラザロが死んで墓に葬られ、四日たった後に、イエスはラザロを生き返らせました。
イエスがラザロを生き返らせた奇跡の出来事には、その前提となる、大切なことがありました。それはイエスに対する、ラザロの姉妹マルタの信仰です。イエスはマルタにたずねます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と。マルタは、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」と答えます。マルタは、イエスを信じました。マルタは、人を生かす命そのものがイエスであり、死という限界を超えて人に永遠の命を与えて下さるのがイエスである、と信じました。マルタの信仰がありました。
イエスはラザロの墓へ行き、「ラザロ、出て来なさい。」と大声で叫ばれました。するとラザロは生き返って、墓から出て来ました。信仰は、死を変えます。生きる者に対して限界と虚無と恐れを突きつける死は、イエスを信じる信仰によって、神のみ業と栄光が現れるもの、復活の希望へと向かっていく門出となるのです。
しかしイエスがラザロを生き返らせた後、祭司長たちやファリサイ派の人々は、イエスを殺す計画をたてます。皆がイエスを信じるようになることに、祭司長たちやファリサイ派の人々は、自らの権威がゆらぐという危機感をいだいたからです。人に命を与えるイエスは、そのことによって自らの命を失うこととなっていきます。そのはっきりとした出来事が、イエスの十字架の上での死でした。しかしイエスは、十字架の死とその後の復活をとおして、死が命にのみ込まれたことを私たちに示すのです。