隔たりを越えて
(ヨハネによる福音書4章5~26、39~42節)
本日の聖書に記されているサマリアの女性は、イエスとの対話を深めていくうちに、イエスに対する三つの関係の隔たりを乗り越えて、イエスはメシア(救い主)であるという信仰を持つにいたります。イエスとの一つめの隔たりは、サマリア人とユダヤ人という「民族的な隔たり」でした。サマリア人とユダヤ人は歴史的・宗教的に複雑な確執をもっており、お互いに差別し合う関係でした。その隔たりを越えてこの女性はイエスと出会っていきます。第二の隔たりは、「物質的な水と霊的な水との間にある隔たり」です。イエスも女性もはじめは共に物質的な井戸の水を求めていましたが、女性はイエスとの対話をとおして、霊的な命の水を求める生き方へ明確に転換していきます。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水を下さい。」と、その女性は永遠の命に至る水を求めます。女性がイエスとの関係で乗り越えた第三の隔たりは、イエスにありのままに自分をゆだねて信頼していくのかどうか、という「迷いの隔たり」です。女性はこの隔たりを乗り越え、ありのままに自分の夫についての状況をイエスに言います。サマリアの女性はイエスとの対話において、この三つの隔たりを乗り越え、イエスがメシアであるという確信と信仰を持つにいたります。それはこの女性のイエスに対する呼び名の変化によっても知らされます。「ユダヤ人のあなた」、「主」、「預言者」、「メシア」と、女性のイエスに対する呼び名が変化していきます。この女性は井戸へ正午ごろ水を汲みに来たという状況を、聖書は記しています。当時の女性は早朝か夕方に水を汲みに動くのが慣例でした。暑い日中の正午ごろにわざわざ水を汲みに来るということは、その女性には何か他者には共有されえない特別な事情があったと思われます。また彼女には5人の夫がいましたが、イエスと出会った時は、夫ではない男性と連れ添っていたと、伝えられています。このサマリアの女性は、生きていく状況の中で、他の女性や人々とはちがう、彼女だけが背負っていた苦しみや困難があったのではないでしょうか。その彼女が民族的な隔たり、物質と霊との隔たり、信頼しきっていくかどうかの隔たりを乗り越えて、イエスに深く出会っていきます。
そしてそこで受けた「命の水」と「神の恵み」が、彼女を通して町の他の人々へ流れ広がっていくのです。生きていくためのほんとうに必要な水、そして永遠の命に至る水は、イエスと出会った者の内に泉となって湧き起こり、すべての状況へ向って流れ広がるのです。