心を見よ
(マタイによる福音書5章21-24,27-30,33-37節)
本日の福音書ではイエスの三つの教えが示されています。①「しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」(22節)②「しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(28節)③「しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。」(34節)。これら三つの教えには共通する視点があります。それは、実際に腹を立てて暴力や殺人を行ったかどうか、実際に他人の妻に対して姦淫を犯したかどうか、実際に誓いを果たしたかどうか、ということが問題ではない、ということです。それよりも、自分の「心」に、怒りがないのか、みだらな思いがないのか、誓いを果たさなくてもいいという安易な思いがないのかと、己の本当の「心」がどうなのかを見よ、とイエスは私たちに問いかけているのです。
律法の掟に反した行動が現れなくとも、己の本心はどうか、自分の心の中は本当はどうなのか、ということが問題であり、神はまさにそのことを問題としているのです。そして自分の心が、神の愛と義を受け入れ、その熱と力によって、溶けた心、砕けた心となる時、神の赦しと救いの恵みにあずかるのです。神と繋がる、神の見ておられる、己の「心を見よ」とイエスは私たちに語ります。