イエスと共にこの世にとどまる
(ヨハネによる福音書1章29~41節)
ヨハネ伝が記すイエスの最初の弟子たちにとっては、イエスがどこに泊まっているかが、重要な問題だったとされています。「泊まる」という言葉が、キーワードとなっています。最初に弟子となった二人は、イエスがどこに泊まっているのかを問題とし、イエスがどこに泊まっているのかを見て、そしてイエスのところに泊まりました。ここで用いられている「泊まる」という言葉は、単に宿泊するという意味以上に、重要な内容を含んでいます。聖書の原語でこの「泊まる」と訳されている言葉は、「メノー」というギリシア語です。この単語には、「滞在する」「とどまる」「存在する」という意味が含まれています。イエスに従った二人が「どこに泊まっておられるのですか」とイエスに問いかけた真意は、「神の子であるあなたは神の救済のご計画の中でどんな立場をとってこの世に留まっておられるのですか」という、イエスを知ろうとする探求の思いでした。イエスはその二人に「来なさい。そうすれば分かる」と言います。そして二人はイエスについて行って、イエスがどこに<泊まっている> かを見ました。そのことは、二人が自分たち自身で、「世の罪を取り除く神の小羊」であるイエス・キリストに明確に出会ったことでした。そして二人はイエスのもとに<泊まり>ました。それは、「世の罪を取り除く神の小羊」であるイエス・キリストのこの世での働きに、二人も共に参与していく、という出来事のはじまりでした。
イエスの弟子になる、イエスに従って生きていく、ということは、神の救済の計画にあって神の子であるイエスがこの世でどんな立場をとっているのかを、ますます深く知っていくことです。