感謝をもって
(ルカによる福音書23章35~43節)
本日の主日は、教会の一年をめぐる教会暦で最後の主日となっています。この日に私たちは、神様によってこれまでに多くの様々なお恵みを与えられ、今もまさに神様のお恵みに生かされている、ということを感謝して、祈りをお捧げいたしたいと思います。
自分が真に感謝する、ということができるために、三つの基本があります。一つめは、「自分の向かうところがある」のでそのことの助けを受け、感謝できるのです。二つめは、「自分を超えた他者がいる」のでその助けを受け、感謝できるのです。三つめは、「ありのままの自分でいる」のでその助けに全くゆだねて、感謝を深く知ることができるのです。しかしこの一年の、私たちの身近な生活、この社会、この世界にあらためて目を向けてみると、決して、「希望」「喜び」「平安」「慰め」という言葉だけを手放しで言える現実や状況ではありません。私たちの身近な生活、この社会、この世界にあって、悲しみ、不安、厳しさ、苦しみ、戦争などが、現実のこととして私たちを取り巻いています。しかしそれでもなお、この世界に生きている私たちが、このような現実にあっても、神様は私たちを愛しておられ、私たちを愛の世界に招いておられるのです。
今日の主日はまた、「王であるイエス・キリスト」をおぼえる主日でもあります。聖書を読む時、私たちは王としてのイエス・キリストを知ります。王としてイエスは誕生されました。王としてイエスはエルサレムの人々に迎えられました。王としてイエスは十字架の上で死にました。本日の福音書では、王としてのイエスが十字架につけられた出来事が記されています。愛の国の王、イエス・キリストは、この世界の人々にあざけられ、ののしられ、侮辱されて、十字架につけられました。しかしそのイエスを、真の王、神の国の王としてしっかり見極め、その王であるイエス・キリストに願いを求めた人がいました。それはイエスと一緒に十字架にかけられた犯罪人でした。イエスは最後にその犯罪人に言います。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ伝23:43)。その犯罪人は心からイエスに、感謝をささげたにちがいありません。
私たちは、「王であるイエス・キリスト」への感謝をもってこの一年をしめくくり、来主日から始まる教会暦の新しい年の始めに、「王であるイエス・キリスト」のご降誕を、清い心でお迎えすることが、求められています。