狭い戸口から
(ルカによる福音書13章22~30節)
本日の福音書では、「救われる」、「神の国に入る」ということについて、「狭い戸口から入るように努めなさい。」という、イエスの教えが記されています。
私は以前、エルサレムの「城壁博物館」という所へ見学に行ったことがあります。その博物館には、イエスがかつておられた時代のエルサレムの城壁と城門がそのまま発掘されて、屋内に展示されていました。エルサレムを取り囲む城壁には、幾つか大きな門があり、かつて人々は、その門を通らなければ安全なエルサレムの城内に入ることはできませんでした。治安や防衛のために、門は夜になると閉じられましたが、それまでに大きな門を通って城内に入らなかった人々は、もう決してその夜は、その大きな門を通って城内に入ることはできません。かつて城壁の外は、特に夜は、治安が悪く、追いはぎや強盗が横行し、旅人や荷物をもっている商人は、夜の城外で襲われ、金品を奪われ、命を失うことがありました。しかし、大きな門が閉められても、人々が城内に、身一つで入る方法が、たった一つだけありました。それは大きな門のそばの城壁に、小さな穴があいていたのです。「城壁博物館」でも、発掘された大きな城門のそばに、その小さな穴がありました。その穴は、「針の穴」と呼ばれていました。それは人が一人、やっと通れる小さな穴です。人が荷物や武器を持っていては通れない穴です。もちろん、ラクダやロバや、牛や馬も通れません。その「針の穴」があることを知らない人は、暗い夜にそれを見つけることは容易ではありません。
大きな門が入口だと決め込まず「上辺に惑わされない人」が、狭い穴を通って城内に入ることができます。そして、荷物を所持することをやめて「自分を変えることのできる人」が、狭い穴を通って城内に入ることができます。「上辺に惑わされないこと」、「自分を変えていくこと」が、神の救いに与る大切な姿勢です。イエスはまた、別の場面でもこの大切な姿勢について語っています。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(ルカ18:25)と。