何度も「回復」へと招く
(ルカによる福音書20章9~19節)
イエスはぶどう園の農夫たちのたとえ話をされました。古代の世界では、ぶどう園のぶどうの収穫の時は、実りの恵みを受ける喜びの時であると同時に、ぶどう園の主人とその労働者たちが互いに結んだ労働雇用の契約の履行の成就が決定する、重要な時でもありました。収穫の時に、労働者である農夫たちは、契約通りの労働の最終的な収穫という重要な局面を迎え、正しく主人に収穫を納め、主人もまた農夫たちに契約通りに収穫の利益の分配をしました。ぶどう園の主人と労働者たちは、お互いに「信頼」の関係のうちに共に生きており、そのことはまた、お互いに結び合った契約を守り実行するという「正しさ」が保たれている関係に生きていることでした。
しかしイエスが本日の福音書の箇所で語るぶどう園の農夫たちの姿は、その「信頼」と「正しさ」を自ら壊し、何度もぶどう園の主人の側からその回復を働きかけられても、農夫たちはその回復の働きかけをも、壊し、否定していく、というものでした。その結果、その農夫たちは決定的に裁かれ、滅ぼされてしまいます。
イエスはこのたとえ話を通して、神はそのみ心の奥底から、ほんとうに、私たちが神に立ち帰ることを切に望んでおられる、ということを教えられます。それは、ぶどう園の主人が、農夫たちに契約通り収穫を納めるようにと、何度も、自らの僕や自らの跡取り息子を派遣した出来事に表われています。何度も本来の関係に立ち帰るように農夫たちに呼び求めている主人の姿。それは神にこそ立ち帰るようにと私たちを呼び求めている、神自らの姿です。「神との信頼」と「神への正しさ」のうちに、私たちがますます生きていくことへと、神自ら、そしてそのために遣わされたみ子イエス・キリストは、私たちを招いておられるのです。