罪深いから災難に遭うのでしょうか?
(ルカによる福音書13章1~9節)
罪深いから災難に遭うのでしょうか? ちがいます。罪深いことと災難を結びつけ、罪深さから神に向かって立ち返っていくことをしないところに、大きな問題があるのです。今日読まれる福音書には、二つの災難が記されています。支配者による残忍な虐殺に遭った災難と、塔が倒れるという事故に遭った災難です。その災難に遭った被害者たちに対して人々は、罪深かったからだ、と言います。そのとらえ方は、罪という状況にある者が、神の救いに向かっていくという事実を見失っています。イエスは、どんな災難が起こりどれほど希望が薄れかけようとも、また人がどんなに罪深い状況にあろうとも、人は神に向かい、神の救いにあずかることができる、と教えます。私たちは、どのような状況にあっても、神に向かっていることが大切なのです。
そして私たちの神に向かうあり方が確かなものとなるために、イエス自らが働きかけ、力を与えて下さっています。そのことが、今日の福音書の13章6節以下のたとえ話に示されています。園丁はイエスであり、ぶどう園にある実のならないいちじくの木は、神に向かうことを見失っている者ではないでしょうか。イエスはできるかぎりどこまでも自らをささげて、人が神に向かって立ち返ることを願っておられます。