「悔い改め」
(ルカによる福音書13:1-9)
大斎節に入り、地のちりからつくられたわたしたちは、悔い改めのしるしとして十字架のしるしを額に受けました。それは、また、わたしたちが地上での生活を終えて、ちりに帰り、すべてのことを神さまへお委ねするということを再び気付かされる恵みを受けるためでもあります。
きょう、わたしたちに与えられた福音によると、イエスの生きた時代、良い行いによつて神さまからの恵みを受けて、悪い行いによって神さまより罰のような試練を代々にわたり受ける考えがありました。
(「・・・私は主、あなたの神、妬む神である。私を憎む者には、父の罪を子に、さらに、三代、四代までも問うが、」出エジプト記20:5)
イエスはこのような因果応報の考えが自分たちの周りにあることを当然、知っておられました。そして、イエスはきょうこのようにわたしたちに向けてメッセージをくださっています。
「イエスはお答えになった。『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのすべてのガリラヤ人とは違って、罪人だったからと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(13:3-4)
「悔い改め」とは神さまのほうへ立ち帰るという意味です。それは、すべてのことを神さまへ委ねるということでもあります。罪あるわたしたちが神さまによって赦された存在であるという恵みに気付き、神さまと、そして、共に生きる人々に感謝して日々、歩んで参りたいものです。
(司祭ウイリアムズ藤田 誠)