「神さまから見たわたしたちの姿」
(ルカによる福音書15:1-3, 11b-32)
きょうの福音書の箇所は絵画でご存知の方もいらっしゃると思います。17世紀のオランダの画家であるレンブラントが描いた『放蕩息子の帰還』(The Return of the Prodigal Son)では、ボロボロな姿でお父さんの懐へ飛び込む息子をお父さんが慈しみをもって迎えている姿が描かれています。教会に連なる人々にとり、この物語は「放蕩息子のたとえ」というタイトルで認知されてきました。物語の内容をどのように受け取るのか?それがこのタイトルへ繋がります。その内容としては、以下の通りです。
自分の欲の赴くままに父親から受け取った全財産の半分を放浪の旅の途中で使い尽くしてしまった父親の二男が、旅の滞在地での飢饉も重なり、生活に行き詰り、父のところへやっとの思いで帰ってゆきます。父親はこの次男の帰還を諸手を挙げて喜ぶのですが、まじめな長男は納得ができなく怒りのあまり、その思いを父親へぶつけます。
最近、刊行された新しい聖書の翻訳(聖書協会共同訳)ではこの物語の小見出しは「『いなくなった息子』のたとえ」になっています。「放蕩息子」と思うのはこの物語では兄の方ですが、父親にとっては大事な息子のうちの一人がいなくなった物語なのだということが、この小見出しより伺えます。
みなさまはこの物語をどちらの視点(兄か父親か)で受け取ってきましたか?また、弟の立場からこの物語を受け取るのもよいかもしれません。神さまにとってはどのような人でも神さまの大事なこどもということを感謝して受け取りたいと思います。
(司祭ウイリアムズ藤田 誠)