聖霊によって
(ルカによる福音書3章15~16、21~22節)
今日の福音書には、水で洗礼を受けたイエスが祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た、と記されています。水と、神と共に歩みたいという信仰の祈りと、聖霊によって、洗礼という出来事は実現する、と福音書は私たちに伝えるのです。本日は、イエスが洗礼を受けられたことを思い起こし、洗礼に与った私たち自身のあり方をもう一度見つめ直す主日です。今日は「主イエス洗礼の日」でもあります。
イエスが洗礼を受けた時、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た、と福音書は伝えます。「鳩」は、新約聖書ではイエスの洗礼の場面以外に、他に二つの場面に登場します。一つは、イエスが生まれた時、イエスの両親が律法に従って神殿で鳩を献げるところです。鳩は、貧しい者達が献げることのできる供え物でした。鳩が登場するもう一つの場面は、イエスがエルサレムの神殿で商人達を追い出した時、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返した場面です。鳩は、貧しい者達が羊などの高価な供え物を献げられない時、その代用とされるものでした。その鳩を神殿の商人たちは貧しい者達に売って、利益を取っていました。鳩は、代用品であり、つじつま合わせの品物であり、二の次、とされるものでした。しかし、イエスが洗礼を受けられると、神の力である聖霊が「鳩」の姿となって、天からイエスの上に降って来た、と聖書は記しています。聖霊は、二の次であった「鳩」を、偉大な神の力を表すものに変えられました。聖霊は、二の次とされる弱い、小さなものを、大切な、重要な意味をもつものに変える力をもっているのです。聖霊は、ものの存在の意味をまったく変える力をもっています。洗礼を受けた者は、この聖霊の力によって、まったく新たにされたのです。それは、神と共に生きる希望が、決定的に自分の命の歩みとなったのです。