真理の王
(ヨハネによる福音書18章31~37節)
本日の主日は、教会の一年をめぐる教会暦で最後の主日です。今日の主日はまた、神様との本来の関係に私達を回復して下さった「王であるイエス・キリスト」をおぼえる主日でもあります。聖書を読む時、私たちは王としてのイエス・キリストを知ります。王としてイエスは誕生され、王としてイエスはエルサレムの人々に迎えられ、王としてイエスは十字架の上で死にました。本日の福音書では、総督ピラトがユダヤ人たちに求められ、捕えられたイエスに尋問する出来事が記されています。それはイエスが「ユダヤ人の王」であると自称している証拠を確認するためでした。もしイエスが「ユダヤ人の王である」と自ら言うのであれば、反逆罪ですぐに処刑することができました。イエスをピラトのもとへ送った人々は、まさにその処刑を願っていたのでした。しかしイエスは、この世で人と国を支配する権力者としての王ではなく自分は「真理について証しをする」王であることを明言します。真理とは、すべての人に「確かさ」を与えるものです。イエスは、この世が与え得ない「確かさ」を私たちに与えて下さる真の王なのです。
私たちは、「真理について証しをする」「確かさを与えて下さる」この真の王によって、本来のあるべき姿に回復され、そこに生かされていくのです。私たちは、「王であるイエス・キリスト」への感謝をもってこの一年をしめくくり、来主日から始まる教会暦の新しい年の始めに、「王であるイエス・キリスト」のご降誕を、清い心でお迎えすることが、求められています。