イエスに対するすがた
(マルコによる福音書3章20~35節)
本日の福音書では、神の国を宣べ伝えているイエスに対して三者の人々が記されています。それは、イエスの身内の人たち(21節、31節)と、律法学者たち(22節)と、イエスの周りに座っている人々(34節)です。イエスの身内の人たちは、イエスが「あの男は気が変になっている」と言われているがゆえに、イエスを取り押さえに来ます。地縁血縁の風土やしきたり、習慣を基準にして、イエスはそこから逸脱した者としてとらえ、イエスの言動や行動をやめさせようとします。一方、律法学者たちは、イエスの為す癒しの力や悪霊を追い出している力が、人間から出たものではないと知っていながらも、その源を、悪霊の頭やサタンに帰します。律法学者たちは自分たちの都合に合わないイエスの言動や行動を否定し、自分たちの力の偽りさを露呈させることになるイエスのみ業に妬みや悪意を持ち、イエスが現す神のみ力と聖霊のみ力を、冒涜します。
イエスに対するもう一方の人々がいます。それはイエスの周りに座っている人々です。彼らはイエスのみ言葉を聴き、イエスより語られる神のみ心を知ろうと願い、イエスに従って行こうとする人々です。イエスはその人々を見回して言われました。「見なさい。ここに私の母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と。イエスに聴き、神のみ心を行うことこそが、まず求められています。ヨハネによる福音書1章12~13節では、この人々について、高らかに宣言しています。「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」