あとで考え直す(メタメロマイ)
(マタイによる福音書21章28~32節)
本日の福音書におけるイエスのたとえ話でも、ぶどう園に関してのたとえが語られます。ぶどう園の労働は、ぶどうの成長と気候状況との関係で、決しておろそかにすることはできません。ふさわしい時にぶどうの木の手入れをし、ふさわしい時に収穫をしなければならないのです。ですからぶどう園の労働は一刻を争うことなのです。遅れや先送りはゆるされません。
本日のイエスのたとえでは、その一刻を争うぶどう園の労働に、二人の息子を送る父親が登場します。その父親は二人の息子である兄と弟に同じ要請をします。「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と。兄は「いやです」と答えましたが、<あとで考え直して>出かけます。弟は父親に「お父さん、承知しました」と答えましたが、出かけませんでした。父親の望みどおりにしたのは、当然、兄の方です。兄は、<あとで考え直し>ましたが、聖書の記述には、弟には<あとで考え直す>という言葉は記されていません。つまり、兄は、はじめはほんとうにぶどう園に行きたくはありませんでしたが、<あとで考え直して>行くことにしたのです。一方、弟は、<あとで考え直して>いないので、はじめからほんとうはぶどう園にいきたくはなく、口先だけで父親に「お父さん、承知しました」と言っていたのです。
この<あとで考え直す>という言葉は、聖書の原文のギリシア語で、<メタメロマイ>という単語が用いられています。この単語のもともとの意味は、「気にするようになる、関心を持つ」という意味です。それは死んでいた関係が、生きた関係に変わることです。どんな状況であっても、私たちは「あとで考え直す(メタメロマイ)」ことができます。この私たちの「あとで考え直す」姿を神は知っておられ、私たちを実り豊かなぶどう園という希望と喜びの世界に招いておられるのです。