「主の霊」
(ルカによる福音書4:14-21)
イエスは人としてこの世にお生まれになり、わたしたちと同じように洗礼を受けられました。わたしたたちとイエスが受けた洗礼の違いを言うならば、それは、イエスが受けた洗礼は水でしたが、そして、わたしたちが受けた洗礼には水と霊が主イエス・キリストの名によって祈られて注がれているという点です。
では、罪のないイエスがなぜ罪あるわたしたちと同じように洗礼を受けられたかと考えるとき、わたしたちの罪の苦しみを一緒に担ってくださるためです。それが、イエスの受けられた十字架の死です。きょうの福音書の箇所はイエスが洗礼者ヨハネより悔い改めの洗礼を受けられた後、天が開け、聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降って来て、聖霊に満たさたイエスは霊に導かれて40日の間、悪魔から試みを受けるものの、それには乗らず、再び霊の力に満たされてガリラヤに戻られたときのことでした。
イエスは安息日に会堂でイザヤの巻物を読む担当をされました。イザヤの巻物はイザヤ書第61章1節から2節の部分になります。そこでもまた霊が登場します。「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために・・・」と。このように人間の救いに関わる出来事には全て霊が介入してくることを聖書はわたしたちに知らせてくれます。その霊の力は人間の想いをはるかに超えたものであり、また、恵みに満ち溢れたものであることをわたしたちは、み言葉を聴くという体験を通して、そして、洗礼という体験を通して、さらに聖餐に与かるという体験を通してすでに知っているのでした。主に感謝します。
(司祭ウイリアムズ藤田 誠)