「神さまの奇跡」
(ヨハネによる福音書2:1-11)
神さまが行われた奇跡を聖書は数多く記しています。まず、神は天と地を創り、光と闇を創り、水を天と地で分けて大空と海を創り、あらゆる自然と生き物を創造されて、最後に人を土の塵より神に似せて創られました。そして、人がこの世に誕生してからは、人がピンチになると神は人の目に映る形で奇跡を表しました。これらの奇跡は旧約聖書に記されていますが、時代的に言うとイスラエルの神とその民の関係性の中で奇跡は記されています。そして、時代が進んで新約聖書の時代になると、神が人々に記した奇跡はイスラエルの民の枠を超えて世界中に広まります。その奇跡とは、神がイエス・キリストをこの世に送ってくださったこと、そして、「十字架の死」と「三日目」のご復活を人に示された奇跡のことです。また、神はイエス・キリストのこの地上での生き方を通して、人に奇跡をお示しになりました。その生き方の一つが今回の「ガリラヤのカナでの婚礼」です。
ガリラヤはイエスが人の子としてさまざまな背景を持つ人々と出会い、出会った人々が励ましを受けて、再び、この地上での旅を続ける舞台です。そのガリラヤのカナで起きた出来事は、不測の事態、婚礼の席でぶどう酒が無くなってしまうというピンチ(祝いの席が台無しになってしまうという)に直面した人々に対して、なんと水をぶどう酒に変えて「しるし」を示しました。この「しるし」は神さまがご自分の愛するみ子であるイエス・キリストを通して示された奇跡でした。この「しるし」はわたしたちの思いを遥かに超えたものであることを覚えたいと思います。なぜならば、イエスはガリラヤで周縁に追いやられてしまった人と出会い続け、励まし続けた後、十字架への道という残酷な道を辿った方だからです。わたしたちはしばしば人を区別したり評価をしてしまう欲求に駆られます。そのような欲求にあるとき、この「しるし」が見えなくなることもあるでしょう。そのようなとき、わたしたちには「十字架のイエス」と「三日目のご復活」を想い起こすときが毎主日与えられているということに感謝いたしましょう。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)