「聖家族」
(ルカによる福音書2:41~52)
クリスマスを迎えて、わたしたちは救い主がこの地上で肉体を取り、成長していく模様を聖書を通して体験します。赤子として生まれた救い主はユダヤの王であるヘロデ王の魔の手から逃れてエジプトへ避難します。その後、赤子はユダヤ教の規定に則り、生後八日経過した時点で割礼を受けて、イエスと名付けられます。幼子イエスは生後四十日経過したとき、マリアとヨセフに連れられてエルサレム神殿へお参りにゆきます。エルサレム神殿にはシメオンという神への信仰が豊かな人がいて、彼を通して、イエスは祈られて神さまへささげられました。シメオンの祈りはイエスを通して救いを見た告白であり、イエスという救い主がユダヤ人だけではなく、異邦人も含めた全人類のための光であることがマリアとヨセフの前で祈られました。この出来事にマリアとヨセフは驚きますが、さらに驚く出来事が、十二歳になった少年イエスが過越祭を家族と祝うためにエルサレム神殿へお参りにいったときに起こりました。
過越祭の最中、マリアとヨセフは少年イエスを見失ってしまいます。そして、過越祭が終わり、マリアとヨセフがガリラヤのナザレへ帰っているとき、イエスがいないことに彼らは気が付きました。マリアとヨセフが親類や知人の中を探してもイエスは見つからず、捜索三日後にマリアとヨセフはエルサレム神殿へ再び上り、神殿のなかでイエスがユダヤ教の教師たち(律法学者、ファリサイ派、サドカイ派の指導者など)の真ん中に座って、彼らとの問答のやりとりを目撃しました。マリアがイエスを心配して探し回ったことを告げるとイエスは「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」と母マリアに言います。当然のごとくマリアとヨセフのイエスの語った意味を理解できなくいましたが、マリアはかつて、自分の妊娠を天使から告げられてとまどいながらも、何とか心に留めようとしたように、今回も心に留めるのでした。
聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)は予期せぬ出来事に驚きながらも神へ信頼して歩んでいることをわたしたちは聖書を通して知ります。わたしたちの日常も予期せぬ出来事にとまどうことがあります。そのようなとき、わたしたちは、聖家族の神への信頼を思い起こして歩んで参りたいものです。
執事ウイリアムズ藤田 誠)