「あらゆるものが回復される」
(ヨハネによる福音書18:33~37)
この世界で創られたものは皆、神によって創られた被造物です。すべてのものは尊い存在です。しかし、人間は自らのことも含めてそのことに気付いておりません。他者を警戒して、信頼を置くことができなく、人と人との関係性が分断してしまうことがしばしばあります。また、あるがままの自分自身を受け入れられなく、自己肯定感を低くしてしまうこともしばしばあります。
イエス・キリストがこの世に人間と同じような肉体を取って現れた意味とは、人を信頼して分断してしまった関係性を修復すること、ありのままの自らを受け入れて、自分と和解していくことを神さまが望まれたからです。そのためには油を頭に注がれた「王」としてイエスがキリスト(救い主)であることが必要でした。イエス・キリストが「王」となられたとき、神さまがいつくしまれた被造物世界はその尊厳が回復されてゆきます。人間はイエス・キリストが「王」となってくださり、初めて謙遜な心がそれぞれに与えられてゆきます。人間の「王」と人間との間で結ばれたものは主従関係となり、窮屈な関係性になりますが、「王」である神さまのみ子(イエス・キリスト)と人間との間で結ばれたものは人間を解放へと導きます。そこに希望を置いて参りましょう。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)