「祈りの姿勢」
(マルコによる福音書12:38-44)
きょう、わたしたちに与えられた福音書の物語において、聖書協会共同訳の聖書では二つの小見出しが記されています。それは「律法学者を非難する」と「やもめの献金」です。特に「やもめの献金」は貧しいやもめが登場して、彼女が生活費のすべてを献金箱に入れたその姿勢は大きな印象をわたしたちに与えます。
やもめは聖書の中で「寡婦」という表現で描かれることがあります。出エジプト記22:21ではこのように記されています。「いかなる寡婦も孤児も苦しめてはならない」そして、この節の直前の20節では「寄留者を虐待してはならない。抑圧してはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。」とあるように、かつて、エジプトで抑留されていたイスラエルの人々は弱い立場の人々を積極的に保護していった様子が記されています。このことは律法学者も当然知っていたことなので、自分たちがやもめの家を食い物にしてしまい、それを他の人に悟られないように長い祈りをするということをイエスに指摘されたことは、彼らにとって、ばつが悪い経験だったことでしょう。やもめの家を食い物とした律法学者による見せかけの長い祈りとはどのような祈りだったのでしょうか?そして、持っているものをすべて献金箱に入れたやもめの信仰の姿勢を私たちはどのように受け止めるのか?きょう、わたしたちは主より問われております。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)