「信頼をもってあゆみを起こす人」
(ヨハネによる福音書6:35,41-51)
ヨハネによる福音書において、ヨハネ(共観福音書では洗礼者ヨハネ)はイエスのことを「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」と証しました。イエスを神のみ子として、世にいる人々の罪を取り除く存在であることを受け入れました。しかし、そのことを受け入れられない人がいました。ヨハネによる福音書の著者はそのような人々のことを「ユダヤ人たち」と記しました。これはエルサレムにいたユダヤ教を信奉していた人々がガリラヤに入ってきたことを指し示すのではと解釈する聖書学の研究者がいます。また、ヨハネによる福音書の著者(イエス・キリストを救い主と受け入れていた)がユダヤ教共同体から締め出しを受けたゆえに反映された表現なのではと言う研究者もいます。いずれにしても、イエスの存在が躓きとなった人々のことを現わしていて、民族としてのユダヤ人を嫌悪して現わされた表現ではありません。
79年前、日本の広島と長崎に原子力爆弾が落されて、一瞬にして、多くの人が殺されて、また、被爆によって長年、後遺症に苦しむ人を続出させてしまいました。それは8月でした。そして、戦争に敗れたことにより、アジア、東南アジアへの侵略を省みて、戦争を放棄する国になることを誓うきっかけとなったのも8月でした。8月は「平和」を覚える月です。それゆえにヨハネによる福音書の著者が「ユダヤ人」を排斥する意味で民族の名前を記したのではないことを確認したいと思います。
イエスはユダヤ人たちに「よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」(6:47)と言いました。「よくよく言っておく。」また「よく言っておく」はイエスが人々に大切なことを伝えるときに用いる表現ですが、ここでは「信じる者は永遠の命を得ている」と記されています。この箇所をカトリックの本田哲郎神父は「はっきり言っておく。信頼をもってあゆみを起こす人は永遠のいのちを自分のものにしているのだ」と訳します。「信じる者」とはまさに神に「信頼をもってあゆみを起こす人」のことと言えます。
そして、「・・・私が与えるパンは、世を生かすために与える私の肉である」(6:51)のところを「・・・わたしがさしだすパン、それは、この世のいのちとなるためのわたしのこの生身(肉)である」と訳します。
神に信頼を置いてあゆみを起こす人はイエスが差し出す御体をいただくことで赦されて、新たないのちを与えられて、この地上でのあゆみを恵みを感じながら生きられるのだと思います。神への信頼が「主の平和」に繋がり、この地上で実現しますように祈ります。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)