「飼い主のいない羊たちはイエスに癒された」
(マルコによる福音書6:30-34,53-56)
イエスは弟子たちをガリラヤのなかのさまざまな村へ派遣して病にある人と出会い励ますことを進めました。イエスの働きとこの弟子たちの働きによってガリラヤ中にイエスのグループは知れ渡るようになりました。それゆえにイエスと弟子たちのところで群衆が押し寄せました。イエスはこの群衆を見ると「飼い主のいない羊のような有様」と感じました。羊は野獣から身を護る術を持っていないと言われています。それゆえに羊には羊飼いが必要でした。旧約聖書の時代では詩編23編で唄われているように神である「主」が羊飼いであり、人間が羊のように唄われて、神である「主」によってこそ人間は緑の牧場に横たわり、憩いの水辺で休み、再び魂を生き返らせることができることを示唆しています。
イエスと弟子たちが出会った群衆にはまだ導き手がいなかったので、この地上の世界をまさに「路頭に迷う」生活をしていたのだと思います。路頭に迷い、野獣のような人に襲われたり、排除されたりして、この群衆はうつろな様子でイエスと弟子たちの前に現れたのでしょう。そのような群衆をイエスは自分のことのように共感して憐れんだ様子を福音記者聖マルコは記しています。イエスに憐れんでもらえた群衆は励まされたことと思います。群衆たちが励まされた情報はまた周辺地域を駆け巡り、カファルナウム南方に位置するゲネサレトの人々にも伝わりました。人々は病人を広場に寝かせて、イエスに「せめて衣の裾にでも触れさせてほしいと」懇願しました。そして、触れた者は皆、癒されました。
私たちの主、イエス・キリストは私たちの魂を養い、魂が弱っているときは回復させてくださいます。私たちはそのことを教会の営みを通して触れてゆくことをあらためて知ってゆきたいと思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)