「何も持たずに行きなさい」
(マルコによる福音書6:1-13)
ガリラヤ湖を舟で渡っていたイエスは、故郷のナザレに戻りました。イエスは安息日に会堂で教え始めました。イエスの活動は多くの癒しと奇跡を生み出したので、その伝聞はガリラヤ中に広まってゆきました。神のみ子して十全な力がここに現れています。
一方、エルサレム神殿に座を置いたサンへドリンというユダヤ・サマリア地方の自治組織はサドカイ派やファリサイ派の祭司や信徒で構成されていて、政治的にも宗教的にも力を持っていました。人の力による富と宗教的権威をサンへドリンは周りに示していたのではと推測します。ガリラヤで人々を惹きつけていたイエスはその後、神殿崩壊の予告をして、サンへドリンより裁きを受けるのですが、この頃、イエスのガリラヤでの活動に対しての牽制はまだ無いようでした。
しかし、多くの人々はイエスが大工であり、マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟、つまり、祭司や律法学者のような特別な家系の出身ではないということにつまずきました。つまり、イエスに対して、皆、先入観を持っていたゆえにつまずいたということです。人々の目を曇らせて、真実から遠ざけてしまう力が先入観と言ってもよいのかもしれません。
イエスは十二人の弟子たちを呼び寄せ、二人ずつ遣わすとき、「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、、、」と命じます。これまで得てきた考えや物を置いて、新たに出会う人に悔い改めを宣べ伝えることが真理への道であるとイエスは弟子たちにそして私たちに語ります。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)