「安心して行きなさい」
(マルコによる福音書5:21-43)
きょうの物語は「イエスが舟で再び向こう岸に渡られると・・・」というみ言葉から始まります。先主日でもイエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言いましたが、この世を此岸、死後の世界を彼岸と私たちはよく捉えますが、イエスはこの世も死後の世界も人間と共にいることをマルコによる福音書の著者は読者に投げかけているように思います。
きょうの物語では死にかけている会堂長ヤイロの幼い娘と十二年間出血が止まらない女性に注目が集まりますが、この世の最期を迎えようとしている幼い娘と会堂長ヤイロ、そして、出血が止まらない女性にとってもイエスの存在は大きな励ましとなっただろうことがイエスが彼らに投げかけた言葉の向こう側から伺えます。
会堂長ヤイロはイエスから「恐れることはない。ただ信じなさい」と言葉をかけられました。ここで使われている「信じる」のギリシア語は命令形で記されています。つまり、イエスは会堂長ヤイロに「ただ信じろ」と命じるのです。そして、幼い娘は「タリタ、クム」(少女よ、さあ、起きなさい)とイエスから言われます。「タリタ、クム」は実際、イエスが当時、話していただろうアラム語がそのまま記されていて、その説明としてギリシア語で記されている「少女よ、さあ、起きなさい」では「起きろ」という命令形が記されています。イエスから会堂長ヤイロと幼い娘への強いメッセージは彼らを励ましたことと思います。なぜならば、少女はすぐに起き上がって、歩き出したとこの物語では記されているからです。そして、出血が止まらない女性はイエスから「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい・・・」と言われます。ここで使用されている「行きなさい」もギリシア語では命令形で記されています。
「ただ、信じ」「安心して行く」このような神への単純素朴な信仰と行動が、その人を神の平安の内へと招くという真実がこの物語を通して読者に語られているように思います。この「安心して行く」の英語は“Go in peace”です。聖餐式の最後、執事または司祭から派遣の唱和として「ハレルヤ、主とともに行きましょう」という言葉が会衆へ呼びかけられますが、英語の祈祷書では“Go in peace to love and serve the Lord”“Go in peace of Christ”などの言葉が用いられるように、礼拝によって養われた会衆もまた、出血が止まらない女性と同じように神とそのみ子であるイエス(聖霊もまた)から大きな励ましを受けてこの地上の旅を神の平安の内に歩むことができるのでしょう。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)