「聖霊とは」
(ヨハネによる福音書15:26-27;16:4b-15)
旧約聖書時代のイスラエルにおいて、イスラエルの民が抑留されていたエジプトから解放された日を思い起こす「過越祭」の第2日から7週間後に祝った「五旬祭」という小麦の刈り入れを感謝する習慣がありました。「過越祭」との連続性があり、エジプトから導き出し、そして、乳と蜜の流れる土地であるカナンを与えてくれた神へ感謝のしるしとして新しい小麦粉で作ったパンを祭壇へ献げていました。
時は進み新約聖書の時代、神がみ子としこの地上へ送ったイエス・キリストが人々の罪のために十字架に付けられて死に3日目にご復活を遂げたとき、イエスは弟子たちに約束の聖霊が降り、聖霊によって彼らが洗礼を受けるとのメッセージを残して、ご復活されてから40日目に天に昇られました。その10日後が五旬祭にあたり、イエスの死後、贖罪の念と自らの保身から心の扉に鍵を閉めていた弟子たちは、神からの約束の聖霊を受けて生まれ変わったのでした。この五旬祭に集まった人々に向けてペトロはこのように言いました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです。」イエスが当時の力ある宗教的指導者と政治的指導者から裁きを受けていたとき、ペトロは周囲の人々から「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言われたとき「何を言っているのか、分からない」と言った人でした。そんなペトロが約束の聖霊を受けて、イエスのことをキリスト(救い主)と証をしていったのです。これは、聖霊のもう一つの意味である「弁護者」がペトロの側に同伴していたからでしょう。「弁護者」はギリシャ語で「パラクレートス」と言いますが「パラ」は「並走」、そして、「クレートス」は「招かれる」という意味です。「聖霊」という神の力によってペトロは招かれて、その力が伴ってくださることで、イエス・キリストのことを「証」する者へと変えられました。これが教会の始まりです。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)