「赦しへの招き」
(ヨハネによる福音書20:19-31)
イエス・キリストのご復活をお祝いするこの春、もし、イエス・キリストがご復活していなかったらこの世界はどうなっているのだろうか?とふと思いました。まず、イエスを裏切って逃げた12人の弟子たちが再び集まることはなかったでしょう。そして、教会が生まれる原動力となったペトロやパウロによる宣教も起こらなかったでしょう。
その結果、ローマ・カトリックも生まれず、また、プロテスタント教会と呼ばれるグループも起こらないはずです。教会が生まれないのですから、当然、私たちの出会いも無かったはずです。私たちの理性では受け入れづらい死者の復活という出来事ではあるのですが、イエス・キリストのご復活が結び付けてくれた出来事に目を向けると、そこには私たちの想いをはるかに超えた神さまのご計画があることに気付きます。
ヨハネによる福音書におけるイエス・キリストのご復活の出来事も弟子たちにとって、自分たちの想いをはるかに超えた神さまのご計画であったということを感じたのではないでしょうか。ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にみな鍵をかけていた弟子たちはイエス・キリストに「あなたがたに平和があるように」と声をかけられた後、聖霊の息をイエス・キリストより受けます。それは「赦し」を受けるためものでした。「赦されたあなたは赦す人になってください」というイエス・キリストからのメッセージが込められているように感じます。このような「赦し」をイエス・キリストから受けた弟子たちではありましたが、再び、家の戸に鍵をかけてしまいました。そこで、再度、現れたイエス・キリストはご復活を信じられないでいたトマスにご自身のわき腹の傷へ指を触れさせようとします。これは大変痛みを伴う行為でした。赦しの神のみ子と言えるイエス・キリストは人々のためにどこまでもご自身を神へ献げた方でありました。
イエス・キリストからの「赦しへの招き」に応えられますように。また、「赦す人」へと変えられますようにお祈りいたします。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)