「復活したイエスはガリラヤへ」
(マルコによる福音書16:1-8)
安息日(土曜日)が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を購入して、週の始めの日(日曜日)の日の出の頃、イエスが葬られた墓へ行きました。彼女たちは死んだイエスの身体から臭いが出ないように油を塗りにイエスが葬られた墓へ行ったということと同時にイエスを想い起こすために墓へ行ったのでした。なぜならば、新約聖書が書かれたギリシア語において「墓」は「想起する」という意味も含まれているからです。しかし、彼女たちは墓に葬られたイエスには会えなく、また、その場にいたある若者に「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」と言われました。
ガリラヤは、弟子たちが生活していた場であり、イエスと出会ったところでした。そこには、人としての尊厳を奪われて傷ついた人々がたくさんいました。復活したイエスは再びそのガリラヤへ行かれるとある若者は言います。
私たちのガリラヤはどこでしょうか。いま住んでいる東京には人としての尊厳を奪われて傷ついている人で溢れているのではないでしょうか。そこで私たちもご復活したイエスに会いましょう。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)