「まことに、この人は神の子だった」
(マルコによる福音書14:1-15:47)
いよいよ聖週に入ります。ここからはイエスのエルサレム入城からイエスが力ある者に捕らえられて十字架に付けられるまで、一気に話は進みます。
イエスがエルサレムに小ろばに乗って入城したとき、人々は「ホサナ」(どうか私たちをお救いください)と叫びました。そして、イエスがユダヤ人たちの最高決議機関である最高法院で「死刑」が確定して、まもなくユダヤ人たちを管轄していた総督ピラトが「それではユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と群衆に問いかけると、群衆は「十字架につけろ。」と叫びました。
「愛憎」という日本語がありますが、「愛したがゆえに、相手が自分の意に沿わないことになったとき、相手への憎しみが生まれる」という意味もあるようですが、「エゴ」(自己中心的)の極致と言ってよいと思います。イエスに対して群衆が2種類の叫び(「助けてください」という叫びと「十字架につけろ」)は人間であれば誰しも通る道だと思います。ここに人間の脆さが現れていて、それゆえにイエスが十字架に付けられたという経緯があります。
しかし、イエスが十字架の上で息を引き取ったとき、イエスに向かって立っていた百人隊長は「まことにこの人は神の子だった」と告白するのでした。この百人隊長の姿勢に心を寄せたいと思います。ここに人は罪ある存在だけれども神の似姿に作られた希望が込められているのではないでしょうか。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)