「イエスの祈り」
(ヨハネによる福音書12:20-33)
イエス・キリストの受難の道が進んで参りました。きょうのヨハネ福音書12章20節より記されているイエスの言葉は共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では小見出しの「ゲツセマネで祈る」箇所に相当します。神のみ子であるイエス・キリストが人としての苦悩を吐露する場面です。神のみ子であるイエス・キリストは神の計画によって敷かれた十字架への道を受け入れつつも逡巡するところを私たちに見せます。マルコ福音書ではこのように記されています。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく御心のままに。」(マルコ14:36)
イエスは神へ「お父さん」と呼びかけてその苦しみを祈りとして吐露しました。きょうのところではこのように記されています。「今、私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、私をこの時から救ってください』(ヨハネ12:27)
やはり、イエスは神へ苦しみながら祈ります。私たちが自分の十字架を背負うのは古い自分に死ぬためです。しかし、それは容易なことではありません。「自分が手放さなければならないもの」の反対である「自分が執着しているもの」を考えるとき、それがいかに容易でないことは例を挙げずともそれぞれの心の中で騒ぐものがあるはずです。
その心騒ぐものを呻きつつ祈りとして「神へ」「イエスへ」「聖霊へ」呟くとき、神はおそらくそれを「悔いた心」として受け止めてくださるのではないでしょうか。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)