見出した喜び
(マタイによる福音書13章31~33、44~49a)
神さまの恵みと喜びが満ち満ちている「天の国」。本日の福音書では、この「天の国」についての五つのたとえが示されています。天の国は、からし種、パン種、隠された宝、一つの高価な良い真珠、網にかかった湖の水面下の魚、にたとえられています。これらのものは、共通性をもっています。それは、「見出しにくい」ということです。これらは、小さいものであり、隠されているものであり、なかなか見つけられないものです。しかし、それが「最も大切」なものなのです。
一見、見出しにくいにもかかわらず、その存在を知っている者が探し求めれば、必ず確かに自分のものとなるもの。それが「天の国」です。したがって、私たちが探し求め、見出そうとしているかが、「天の国」に入るための、大問題です。「最も大切な、いいものを一つ」自分のものとしたい、という強い願いを、「天の国」にむけることが、クリスチャンの姿ではないでしょうか。
探し求めなければ見出せないもの。見出したら、想像をはるかに超えて大きな恵みに与かるもの。最も大切なものを見出した喜び。それが「天の国」です。