「神への思い」
(ヨハネによる福音書2:13-22)
「宮清め」と呼ばれる物語がここでは語られています。ユダヤ人は過越祭に神殿へ行き祈りを献げていました。その際、お献げするいけにえを買うために自分たちが使用していたローマの貨幣から古いユダヤの貨幣へと両替していました。この一連の営みはイエスによって壊されることになりました。イエスが激しい怒りをここで見せたのには、ある背景が二つあったのではないかと推察します。一つ目は、ローマの貨幣からユダヤ人の古い貨幣へ両替するとき得ていたであろう両替商の大きな利益のことです。そして、二つ目はイエスご自身が献げられるいけにえ(子羊)とならなければならなかったということです。
一つ目については、神殿という場でユダヤ人が大切にしていた神への思いが、商売を通して、いつしか人間の欲望へとかき消されてしまうということです。二つ目については、イエスご自身が神の子羊として神さまへ献げられたという必然があるということです。とても残酷なことではあるのですが、すべての人の罪を贖ってくださった神さまからの一方的な救いがここに示されているということです。「神への思い」として私たちがふさわしく神さまのみ前に持っていくことができるものとは、悔い改めを通して私たちの心を覆う神と隣人への「申し訳なかった」という砕かれた思いではないでしょうか。そのとき、私たちの心に占めるものとは、神さまからの一方的な救いの恵みへの感謝なのだと思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)