「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」
(マルコによる福音書1:9-15)
2024年の大斎節が「灰の水曜日」より始まりました。主日を除く聖土曜日までの40日間、断食日(「灰の水曜日」と「聖金曜日」)と斎日の期間が与えられています。カトリック教会では断食日を「大斎」、斎日を「小斎」と呼んでいますが、大斎は1日に1回だけ十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとること(満18歳以上満60歳未満の信者)、小斎は肉類を食べないことではあるのですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えられる(満14歳以上の信者)との説明がなされています。
1世紀にシリアの共同体を通して記されたと言われる『十二使徒の教訓』(道徳や教会の慣行に関する短い初期キリスト教の手引き)では洗礼準備として断食が勧められています。この大斎節の期間を洗礼準備とした歴史は古く、1世紀に起こった原始教会(『十二使徒の教訓』を記した共同体もこの部類に入る)では共有していたことでしょう。また、大きな罪を犯して共同体より陪餐停止を命じられた人々が悔い改めとして祈り、断食をして、慈善(施し)を実践することによって、イースターの日に再び陪餐を受けられるようにする期間にもなったようです。このような歴史的背景を受けて、教会は伝統的にこの期間をキリストの受難と死を黙想することにより、信徒がそれぞれ自分自身をふり返るときと定めました。ふり返りの指針として、悔い改めの姿勢がキリストの受難と死を見つめることによって与えられ、それぞれが祈り、断食をして、慈善(施し)を行います。
主日を入れた46日間の大斎節、私たちはイエスが荒れ野で40日間、サタンの試みを受けたことを見つめたいと思います。このサタンは自分のなかにあるサタンであることを私たちが受け入れられますようにと神に祈ります。「悔い改め」とは「神に立ち帰る」という意味と「憐れむ」という共感の姿勢の意味と二つあります。自分の思い煩いから離れて神の愛に立ち帰り、隣人への憐れみの姿勢をキリストの受難と死を通して自分のこととできますように祈ります。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)