「これは私の愛する子。これに聞け」
(マルコによる福音書9:2-9)
イスラエルの人々にとって「高い山」は神さまの御心が示される場所でした。かつて、イスラエルの民の指導者であったモーセはシナイ山で神より律法を与えられました。律法とは掟、規則のような概念を思い起こしますが。しかし、ここで語られる律法とはイスラエルの民が生きるための指針と言えます。神の義(神の正しさ)を人間が心に留めるためにこのシナイ山でモーセは神から「十戒」(『私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたには、私をおいてほかに神々はあってはならない。』で始まる)を授けられました。これは旧約聖書で綴られている救いの歴史の物語全体とは、彼らが生きるための神さまからの指針(いわゆる律法)ということになるわけです。
今日の福音書において、イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて「高い山」に登ります。この神さまの御心が現わされる「高い山」で神さまから新しいメッセージが示されました。それはこのようなメッセージです。
「これは私の愛する子。これに聞け。」
イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と天から聞こえたメッセージと呼応します。この天(神さま)から聞こえたメッセージは、イエスが神さまの御心(愛)を人々に示す存在であり、イエスの生き方がイスラエル(今を生きるわたしたちにも)の人々にとって新しい生きるための指針であるということなのだと思います。この与えられた恵みをさまざまな人と分かち合えますように祈ります。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)