「受胎告知」
(ルカによる福音書1:26-38)
クリスマスの出来事はイエスの母であるマリアと父であるヨセフのところにそれぞれ天使が現れるところから始まります。ヨセフの場合はマタイによる福音書第1章18節から25節、そして、マリアの場合は今回のルカによる福音書第1章26節から38節までです。どちらのケースもマリアとヨセフは婚約状態であり、マタイ福音書の場合、ヨセフは何かしらのことを経て、婚約者であるマリアが身ごもっていることを知り、ひそかに離縁することを決めたところに主の天使が現れます。そして、マリアの場合は天使ガブリエルが彼女の前に現れて、開口一番「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」とマリアに告げて、この言葉に戸惑うマリアにさらに天使ガブリエルは「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。・・・」と言うのでした。
ヨセフもマリアも身に覚えのない出来事(マリアの妊娠)に大きく戸惑うのでした。ヨセフの場合、ひそかに離縁しようとしたのですが、それは、さまざまな葛藤ゆえに決めたことであったと思います。その葛藤とはマリアへの不信、また、マリアが不貞をしていたのならば石打の刑になるという恐れもあったと思います。
一方、マリアの戸惑いは聖書の言葉を字義通り捉えるとき、男の人との交わりが実際ないのにも関わらず妊娠するという自分の想像をはるかに超えた出来事に動揺するのでした。ヨセフの苦悩は倫理的な出来事として、私たちにもある程度想像はできるのですが、マリアの苦悩は私たちの経験値では計れない出来事なので想像が難しいというのが現実です。しかし、ここで、いま一度、私たちは自分たちの経験だけですべてを計ることができないということを心に留めなければならないのだと思います。そのような経験を経てマリアが決断した言葉を反芻したいと思います。
「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」
そして、クリスマスの出来事は私たちの経験値では計ることのできない「喜び」の出来事ということも覚えたいと思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)