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「証しする人」

「証しする人」
(ヨハネによる福音書1:6-8,19-28)
降臨節において洗礼者ヨハネが現れる大きな意味があります。それは、彼が「イエス・キリストを光と証した」からです。その光は暗闇のなかで輝き、まことの光として人々を照らしました。イエス・キリストが光であるとき、私たち人間は暗闇であると言えます。その暗闇とは「罪」(神から離れた状態)のことを指します。神から離れている状態を単純に表すとき、それは、イエス・キリストが律法の専門家に最も重要な戒めとして教えた「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい」ということができない状態のことです。
イエス・キリストが教えたこの言葉をあえて裏返しで言うならば「神を愛せなく、自分も隣人も愛せない」という状態のことを神から離れた罪にまんべんなく浸されている状態を指し示していて、私たちの心が真っ暗闇の状態であるということなのだと思います。
洗礼者ヨハネはユダヤ人たちが彼を何者かと尋ねたとき、預言者イザヤの言葉を用いつつ自分の言葉で「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声である。」と答えました。イスラエルの民がかつて紀元前6世紀後半にバビロンに捕らわれていたとき、預言者イザヤはバビロンからエルサレムまでの道を想像してイスラエルの民に『主の道をまっすぐにせよ』と言いました。捕らわれの身でありながらエルサレムへ向かうには自らの状況を見つめなければなりませんでした。それはある意味、自分たちの暗闇と向き合うことでした。洗礼者ヨハネの時代、この言葉と出会った人は救い主と呼ばれるメシアが現れる前に自らの罪と向き合うべく洗礼者ヨハネのもとでヨルダン川での沐浴による洗礼に与かっていたのでしょう。それは、ありのままの自分を神さまのみ前に差し出すことだったのだと思います。そして、さらにその先に起こる出来事として、洗礼者ヨハネは自分の後に現れる人が聖霊によって洗礼を授ける人、イエス・キリストであることを人々の前で証ししました。それは聖霊の働きによって、人々がキリストの死と復活に与かり、自分たちの罪が主によって赦されて新しく生まれるということを証しすることだったのではないでしょうか。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)

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