「意地悪な誘惑から離れる」
(マタイによる福音書22:15-22)
ファリサイ派や律法学者などユダヤ教のなかで指導的立場にあった人々はしばしば、イエスに論争をしかける場面が福音書では見受けられます。よく知られている話ですと安息日に麦の穂を摘んで食べ始めたイエスの弟子たちをファリサイ派の人々が見かけた際に、彼らがイエスに対して「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言う場面です。イエスはこれに対して、かつて律法をよりどころにした人のなかで、安息日でも必要に応じてパンを食べて「いのち」を繋げる行いをしたことを挙げて、「私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない」とかつての預言者が人々へ語った言葉を引用します。
今回、ファリサイ派の人々はユダヤ人社会の政治的有力者であるヘロデ党の人々と一緒に「・・・皇帝に税金を納めるのは許されているのでしょうか、いないでしょうか。」とイエスに言います。税金で用いられていたデナリオン銀貨には皇帝の肖像と銘が彫られていました。この硬貨を所有することは、神さま以外の誰かを崇拝の対象としてはならないという律法に反するのではないのか?というファリサイ派の人々の思いは、ガリラヤでさまざまな孤独を覚えていた人々を励まして、彼らから慕われたであろうイエスを陥れるため、意地悪な思いから発せられた言葉でした。イエスはこの言葉を受けて「偽善者たち、なぜ、私を試そうとするのか。税金に納める硬貨を見せなさい。」と言います。
ファリサイ派はデナリオン銀貨をイエスに見せますが、この時点で彼らがイエスを試そうとした言葉において矛盾が露呈します。偶像崇拝を忌避しつつ、実際に偶像崇拝の形の一つと思われていた皇帝の肖像と銘が彫られている硬貨を彼らが所有していたからです。
この硬貨についてのユダヤ人社会における是非を問うことが神さまのみ心に沿う本質ではなく、かつて、イエスが弟子たちに教えた「主の祈り」にあるように、「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」と意地悪な思いから離れて神さまの愛と平和へ立ち帰ることをイエスは今を生きる私たちにこの話を通して語りかけてくださっているように思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)