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「イエスと分からなかった弟子たち」

「イエスと分からなかった弟子たち」
(マタイによる福音書14:22-33)
 イエスは五つのパンと二匹の魚を祝福して、パンを裂き、そのパンを弟子たちによって5,000人以上の群衆へ分け与えて、彼らは満たされました。その後、イエスは弟子たちを舟に乗せて向こう岸へ行かせ、自分は祈るために山へ登りました。弟子たちが乗った船は逆風に悩まされて向こう岸へなかなか辿り着けない状況でした。そこへ、イエスが湖の上を歩いて舟に乗っている弟子たちのところへやって来るのでした。
5,000人以上の群衆にたった五つのパンと二匹の魚を用いて満たしたイエスの奇跡を目の当たりにしていた弟子たちでしたが、水上歩行するイエスを見て、その人がイエスだとは分からず、「幽霊」と思ってしまいました。
このことは「イエスとは誰か?」「イエスに従う自分たちは何者か?」ということを主が常に私たちに問うているということを示していると思います。逆風に悩まされてる弟子たちのように、教会に集う人々は教会と社会の価値観のギャップ、そして、教会のなかで起きるさまざまな意見の不一致とそれに伴う軋轢に悩まされています。例えば、常に力や強いことに価値を置く現代社会において、イエスが私たちに伝える貧しくて弱い存在であっても主の平和を分かち合うという福音は異質なこととして存在します。また、その福音を分かち合うはずの教会のなかでも、礼拝、奉仕、財政のあり方を巡って意見の不一致に留まらず、思考停止に陥り、虚無感を共同体に漂わせているという状況があるように思もいます。カール・バルトに師事した日本の神学者である滝沢克己は、バルトがイエスの水上歩行について説教したときの視点に着目します。バルトは、弟子たちが水上歩行したイエスをイエスと認めることができなかった。このとき、弟子たちは救いを感じられる状態ではなかった。しかし、信じていようが信じまいが、救いはイエスという御名にある。それは条件無しに存在するという視点です。教会内外において救いを感じづらい状況にあるかもしれない現在の私たちにおいて、「はっ!」とする視点のように思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)

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