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「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」
(ヨハネによる福音書15:1-8)
ヨハネによる福音書ではイエスを何かに例える言葉が多く記されています。洗礼者ヨハネはイエスが「世の罪を取り除く神の子羊」であると証しました。また、サマリアの女が「キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っていますとイエスに言うと、イエスはその『メシア』とは自分のことである言いました。そして、イエスが直接、自分のことを語る場面では、イエスは「命のパン」であり、「世の光」であり、「羊の門」であり、「良い羊飼い」であり、「道」であり、「真理」であり、「命」であると言います。そして、今回、わたしは「ぶどうの木」であると言います。この「ぶどうの木」に繋がる人々はぶどうの枝と言われます。イエスという「ぶどうの木」に繋がり、初めてぶどうの枝は実を結ぶと今日の福音では語られています。
イエスがここで言う実とは私たちがしばしばイメージする何かの成果物としての実とは異なるように思えます。ここで語られている福音はイエスが十字架へ付けられる前に弟子たちへ伝えた「決別説教」が前提としてあります。死にゆくイエスに繋がる人々の実とは、自分のための実ではなく、イエスの死と自らの罪の死を自覚して、復活したイエスが吹く聖霊の息吹により赦された者として「主の平和」を分かち合う教会共同体のなかで結ばれる実ではないでしょうか。すべての人は神の似姿に創られた尊い者です。しかし、わたしたちのいる現実社会では、日本国内外問わず、戦争、紛争、抑圧、差別、排除によって、人の尊厳が軽んじられている出来事があります。現在、国会で審議されている「入管難民法改正案」(通称「入管法改悪案」)が通るとすでに3回以上、難民申請している人は強制的に自国へ送還されます。例えば、日本で難民申請をしているミャンマー人がこの規定によって軍政下にあるミャンマーへ強制的に送還されたら命の保証が無くなります。キリスト者はいま一度、イエスの死に繋がる者として、復活したイエスの吹く聖霊の息吹によって赦された者としてすべての人の尊厳が守られるように教会共同体として祈り、人の尊厳が軽んじられることに対して「No」と声を挙げることが求められるように思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)

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