「イエスに答える」
(ヨハネによる福音書11:17-44)
ラザロの物語はルカによる福音書における「金持ちとラザロ」とヨハネによる福音書の「ラザロの死」と福音書全体を通して2つ出てきますが、どちらもラザロはこの世では気の毒な存在として描かれています。「金持ちとラザロ」ではできものだらけの貧しい人で金持ちの門前に横たわり死を迎えます。そして「ラザロの死」ではラザロはマルタとマリアの兄弟であり病人として最終的に死にます。病気の人を癒し、盲人の目を開かせてきたイエスのことをマルタとマリアは知っていたのでしょう。兄弟ラザロが死んだとき、イエスに対して「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言います。しかし、彼女たちは死んだラザロが生き返ることを信じていました。それゆえにイエスも彼女たちに「あなたの兄弟は復活する」と答えるのでした。
マルタとマリアはイエスの十字架の上での死と復活についてはまだ知りませんが、この世の終わりに救い主が来て塵に帰った者がよみがえり永遠の命へ入るという伝承を聞いていました。その救い主がイエスであるということを彼女たちは信じていたのでしょう。
ここでイエスはご自身の死とご復活をほのめかす言い方をまずマルタにします。その言葉は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」という言葉です。そして、マリアには「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言いました。これらのイエスの言葉は時空を超えて現代を生きる私たちに届けられています。マルタはこのように答えています。
「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
私たちはどのような言葉でイエスに答えるのでしょうか?そのことがいま問われています。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)