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「風は思いのままに吹く」

「風は思いのままに吹く」
(ヨハネによる福音書3:1-17)
 大斎節に入り、イエス・キリストの受難の出来事を通して、私たちはキリスト者として生きることを問い直します。それは、イエス・キリストを通してキリスト者が救われたということを改めて感じるときなのだと思います。
イエス・キリストの受難は、その頂点として十字架の上で死があります。そして、その死は人々の罪を背負われたということと繋がります。キリスト者がなぜイエス・キリストを通して救われたのか?ヨハネ福音書を通してこのことを見るとき、それは、イエス・キリストが死んでから三日目に弟子たちの前に復活した姿を見せて、彼らにこのような言葉をかけて息を吹きかけられたからでしょう。
「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
本日、登場するファリサイ派のニコデモはイエス・キリストがなさった「しるし」にこだわりました。彼は、イエス・キリストがカナの婚礼で水をぶどう酒へ変えられたことを見たのかもしれません。イエス・キリストはニコデモに答えます。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
人は神によって土の塵で形づくられて、その鼻に命の息を吹き入れられたと旧約聖書の創世記に記されています。ニコデモのように私たちは「しるし」という目に見えるものに信頼を置いて安心したいと思う傾向があります。しかし、すでに私たちは神によって命の息を頂いている存在です。目に見えなくても全ての人は「命の息」によって生かされている尊い存在です。目に見えるものに信頼を置くということは、「わたしはあるという者だ」と語られた姿の見えないヤハウェの神から離れる(罪)ということと繋がります。神から離れてしまった人々は、ご復活されたイエス・キリストが弟子たちに代表されるように、再び、「聖霊」という命の息を吹きかけられて新たにされました。これが、ご復活の希望です。イエス・キリストの言うように、聖霊という風はどこに吹くのか私たちには分からないのですが、ご復活されたイエス・キリストの吹く聖霊の息によって、新たに安心して生きられる者とされました。そのことに感謝して、改めて神と人に希望を置く者となれますようにと祈りたいと思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)

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