「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」
(マタイによる福音書17:1-9)
大斎節がまもなく始まります。イエス・キリストの受難を心に刻む期間です。なぜ、イエス・キリストの受難を前にして、教会暦の聖書日課では、イエスが山の上で弟子たちの前で姿が光り輝き変わるという、いわゆる「主の変容」の箇所を私たちに示すのでしょうか?今回、イエスの姿が光輝いた後、弟子のペトロがイエスのために仮小屋をつくることをイエスに提案します。すると、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声がしてペトロたちはひれ伏し、非常に恐れました。この天からの言葉はイエスが洗礼者ヨハネから水の洗礼を受けられたときに聞こえた声とほぼ一緒です。「これに聞け」という文言がここでは付加されています。イエスは洗礼を受けた後、ガリラヤへの宣教を始めました。そして、今回、イエスは天の声を聞いた後、受難が待ち受けるエルサレムへ向かいます。イエスの活動場面が転換する際の合図としてこの言葉が用いられているように思えます。そして、受難へ向かうイエスの言うことを聞きなさいと神は天からメッセージを弟子たちや時空を超えて私たちに送ります。イエスの言うことを聞くということは、イエスが出会った重荷を負う人々を知るということと繋がります。
私たちの身の回りにも重荷を負う多くの人々がいます。主日を中心とした教会生活や学校や会社での社会生活、家族、友人と過ごす私生活など自分の隣にいることを知って、耳を傾けることをイエスの受難と共に心に刻みたいと思います。また、それは、自分自身の重荷をイエスの前に降ろすことと繋がるように思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)