「・・・してはならない」
(マタイによる福音書5:21-24, 27-30, 33-37)
「殺すな」「姦淫するな」「偽りの誓いを立てるな」と厳しい言葉がイエスより弟子たちへ投げ掛けられました。どれも当たり前のことだと私たちは思うことでしょう。しかし、その当たり前と言われることを守れない現実が多くあることも私たちは知っています。国同士の戦争が有り、先進国と呼ばれる国による原住民への同化政策の過程で起こる子どもへの虐待、軍によるクーデターによって人々へ流される偽りの誓いなど、今、現実に起きていること、それほど遠くない過去に起きた事柄です。個人ではなく集団になると権力を持つ人たちによって他者を支配したいという欲望が生まれるからということも言えるのかもしれません。しかし、個人においても他者を支配したいという欲望があることは、しばしば新聞報道で目にする家庭内による配偶者へのDVや児童虐待の事件より明らかです。
他者への支配は神が人々へ求めた隣人を大切にすることと逆行します。それゆえ、イエスは弟子たちに「・・・してはならない」と命じたのでしょう。他者への支配、自らの欲望を満たしたいという思いは、残念ながら全ての人が持ち合わせている罪の性質です。それゆえに私たちは「悔い改め=神に立ち帰る」が求められます。そのときに私たちは「自分はダメだ」とつい自分にペケをつけてしまうものですが、それは、自分にある罪の本質を見ることにはならないのだと思います。なぜならば、自分にペケをつけて終わってしまうからです。より自分の罪の本質を見つめるためには、「この自分のどうしようもない罪の性質を主よ憐みください」と主へ祈り拠り頼むしかないのだと思います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)