「救いのしるし」
(マタイによる福音書3章13~17節)
イエスは暗闇を照らす光としてこの世に来られました。そのことを示す出来事として1月6日の顕現日があります。東方の博士たちがユダヤ人の王として生まれたイエスを拝みに黄金、乳香、没薬を贈り物として携えて、暗闇のなか星を頼りにベツレヘムまで旅をしました。博士たちはイエスを王でありメシア(救い主)である神のみ子を表す物として贈り物を持って旅をしました。博士たちが旅をした暗闇という空間は私たちの心の闇(人の罪)であり、その暗闇(人の罪)のなか生まれたイエスはメシア(救い主)として暗闇(人の罪)を照らす存在としてこの世に現れました。そして、イエスは私たちと同じ肉体を取り、人となるために洗礼者ヨハネから水による洗礼を受けるのでした。しかし、実際、洗礼者ヨハネは罪人と同じ肉体を取るイエスが、罪人の回心と同様の洗礼を受けようとすることに戸惑いました。最終的にイエスは洗礼者ヨハネより洗礼を受けるのですが、これは、イエスが語るように「正しいこと」(義)なのでした。「義に飢え乾く人々」「義のために迫害される人々」が幸いであり、神の国に招かれていることを示すため、イエスが受けた洗礼は「救いのしるし」となったのです。そのことを、天がイエスに向かって開き、神の霊が鳩のようにイエスに注がれるということで表しています。イエスは神が愛された子であり、神のみ心に適う方としてこの世での働きが始まるのでした。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)