「イエスの名によって」
(ルカによる福音書2章15~21節)
マリアはイエスを胎内に宿している身重な体でありながらローマ皇帝アウグストゥスによる住民登録の勅令のため、夫ヨセフの家系であるダビデの出身地、ベツレヘムへ向かわなければなりませんでした。ヨセフと関係のないところでイエスを胎内に宿したことで苦悩していたマリアです。それをやっとの思いで天使ガブリエルに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言って受け入れた後、身重な体でガリラヤの町ナザレからベツレヘムまでおよそ150kmの道のりをヨセフと歩いて旅に出なければなりませんでした。この道のりは山や丘などの高低差もあったでしょうから、身重な体で旅をするのは非常に無理があったことは想像に難くないです。マリア以外の身重の女性も住民登録のために夫の地元へ歩いて旅へ出ていた可能性もあります。おそらく、母子ともに命を失くしたケースもあったのではないかと思われます。このような出来事と併せてローマ皇帝による住民登録の目的が課税や賦役、徴兵が目的であることを鑑みると、この制度は人の命を軽視していたと言っても過言ではないと思います。
このような状況のなか、マリアはイエスを産むのでした。そして、産んですぐ布にくるんで家畜小屋のなかにある飼い葉桶に寝かしました。この状況を知っていた天使たちはこれらのことを羊飼いたちへ伝えて、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と神を賛美しました。産まれたばかりの我が子を手放して布にくるむという行為と十字架で死んだイエスが亜麻布に包まれる行為が重なります。「主は救い」という意味である「イエス」という名前が天使によってヨセフとマリアに示されて、名付けられるわけですが、それは、イエスが救い主であり、この地上に平和をもたらす存在であることを天使たちの賛美は物語っています。キリスト者たちは日々「イエスの名によって」と祈りますが、それは、救い主であるイエスがこの地上で平和を実現する人であることを彼らが認識して、そして、彼らがイエスにならって平和を実現する者となれるようにと確認することでもあります。このことをミニストリー(宣教)と言います。
(執事ウイリアムズ藤田 誠)