「生まれた故郷の言葉で聞く」
(使徒言行録2章1~11節)
今日は聖霊降臨日です。今日朗読される聖書では、イエスの弟子達が聖霊に満たされ、迫害を恐れずに、神のなさった出来事とイエス・キリストについてはっきりと堂々と語り出したことが記されています。そして弟子達が体験した聖霊降臨のこの出来事では、多くの言葉で神の偉大なみ業が語られる事態となります。聖霊降臨の出来事を記している、今日読まれる使徒言行録の箇所では、「ほかの国々の言葉で話しだした」、「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて」「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と記されており、聖霊に満たされることによって弟子達は、言葉の壁をこえて、あらゆる人々に神の救い、イエス・キリストの愛を伝えることができるようになったのです。
言葉はそこに生きる人間の文化の凝縮であり、知恵であり、能力です。それぞれの言葉がちがうということは、人間の隔絶、分裂、限界が示されている、ということです。しかし聖霊は、その人間の隔てや限界をこえて、神の愛を運び、伝えるのです。聖霊に満たされて語られた弟子達の福音の言葉は、聞く者にとっては、それぞれの生まれた故郷の言葉で聞くことができました。聖霊は、すべての人の故郷を、神の国へとかえていく力なのです。