生きるこの世界で
(ルカによる福音書24章1~10節)
本日の福音書によると、イエスを愛していた婦人たちが日曜日の明け方早く、イエスの遺体に最後の葬りの儀礼を行うために香料を持って墓に行った、と記されています。しかし行ってみると、墓をふさぐ大きな石はわきに転がされており、墓の中にはイエスの遺体はありませんでした。そのために途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れ、婦人たちは恐れて地に顔を伏せました。するとその二人の人は、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにおられない。復活なさったのだ。」と言いました。婦人たちは、かつてイエスが「三日目に復活することになっている」と自ら言われた言葉を思い出しました。そして墓から帰って、イエスの弟子たちと他の人皆に、墓での出来事を一部始終、知らせました。本日の福音書の箇所には含まれていませんが、婦人たちのその話を聞いた弟子たちは、その話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった、と本日の福音書の箇所に続けて記されています。
弟子たちが当初、たわ言のように思ったこの出来事ですが、しかしこの出来事には明確な二つのことが、メッセージとして私たちに示されています。一つは、墓が空であったこと。もう一つは、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」という問いかけがなされていることです。この二つのことは、墓の様子という外面を通し、そしてまた私たちの心に問いかけられるという内面を通して、イエスが復活された事実をはっきりと指し示します。
なぜ、生きておられるイエスを死者の中に捜すのか、という問いかけは、なぜ、生きておられるイエスとこの世界の中で出会わないのか、という問いかけと同じです。主イエスは生きておられ、現実の私たちの生きるこの世界で、私たちは主イエスに出会うことができる。これが復活日に与えられる希望であり、喜びです。