わたしたちが従う者
(マルコによる福音書8章27~38節)
本日の福音書は、イエスとペテロの問答を通して、三つの大切な事柄を私たちに知らせます。イエスは救い主(メシア)キリストであり、キリストは十字架につけられ殺されて後、復活する者であり、私たちキリスト者はそのイエスに従って生きる者である、という三つの事柄です。
ペテロはイエスをメシアと告白しました。しかしイエス自らが、メシアとはどういう者であるかを、「はっきり」と弟子たちに教えた時、ペテロはそのメシアを否定しました。ペテロは自分の望みの中にあるメシアを期待し、自分の枠の中にメシアをあてはめていました。ペテロにとってのメシアは、社会の地位的に、権力的に、政治的に力をもって、この世にはっきりと絶大な支配者として現われるメシアでした。そのペテロにイエスは叱って言われます。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」と。「人間のことを思っている」という言葉の、<思っている>は、聖書の原文のギリシア語で「フロネオー」という動詞で、それはもともと<心をそこにかける>という意味です。ペテロは、人間的な地位、名誉、権力に心をかけて、イエスをメシアと期待していました。神がイエスをメシアとして人間に遣わされた、その神の思いに、ペテロは心をかけようとはしませんでした。
私たちは、イエスを何者だとしているのでしょうか。本日の福音書は、この大切な問いかけを私たちに向けます。そして私たちキリスト者に、明確な生き方を示します。それは、「イエスに従う」という道です。イエスに従う歩みを通して、私たちはますますイエスをメシアと確信するのです。「わたしたちが従う者」、それがイエスです。