イエスのパンを食べる
(ヨハネによる福音書6章53~59節)
「わたしは命のパンである」と言ったイエスは、つづけて「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」と言います。父なる神に自らのすべてを捧げたイエス。神と一体であるイエスの肉を私たちが食することは、私たち自身の内に神を迎え入れることです。血は生命そのものと見なされます。私たちがイエスの血を飲むことは、イエスの生命を私たち自身の内に受け入れることです。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」とイエスは明言します。
かつて30年程前に米国を訪問した時、ある教会で行っている福祉活動の施設で、生活援助を受けている貧しい女性に会いました。彼女は自分の6人の子どもと一緒に生活していました。夫の暴力に苦しみ、貧しさに行きづまり、やっとの思いでその救援施設にたどり着いたのでした。その自室の棚にはボランティア団体から寄付された食料のコーンフレークやスキムミルク、缶詰だけが並んでいました。彼女は、節約しながらそれを子ども達と食べている、と弱々しい声で言いました。私達が帰る時、彼女の部屋を訪問した私達のグループと、彼女と、彼女の子ども達と、みんなで手をつないでしばらく祈りました。祈りの間、彼女は声を出さずに泣いているのが分かりました。祈りが終った時、彼女は目の涙をぬぐいながら、笑顔になって、はっきりとこう言いました。「これからはあなた達と同じように、私達もイエスのパンを食べて生きていきます。」と。イエスと共に生きていくとは、イエスのパンを食べること。彼女のその力強い言葉の表現に、私は新鮮な驚きと、大きな希望と喜びを感じました。